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特定社会保険労務士ブログ

解雇理由を「罪状」と掲示

朝日新聞からの引用です。
「アリさんマークの引越社」として事業を営む引越社関東(東京)に不当な異動を命じられたなどと同社を訴えている男性社員(34)が30日、同社から不当に懲戒解雇されたうえ、名誉も傷つけられたとして、300万円の損害賠償を求めることを訴えに追加した。
男性は、未払い残業代などを求めて会社と交渉したが、シュレッダー係への異動を命じられ、命令無効などを求めて7月に東京地裁に提訴した。申立書によると、会社は8月11日付で男性を懲戒解雇。さらに懲戒解雇理由を「罪状」などと記載した男性の顔写真入りの文書を社内に掲示したという。
あまりにレベルの低い話ですが、似たような仕打ちはよく聞きます。指名手配書(もちろん顔写真入り)を貼り出されてブチ切れたというのもありました。

 

過重労働解消キャンペーン

厚生労働省は、11月から「過重労働解消キャンペーン」を実施します。
このキャンペーンは、「過労死等防止啓発月間」の一環として昨年から始まったもので、著しい過重労働や悪質な賃金不払残業などの撲滅に向けた監督指導や、過重労働に関する全国一斉の無料電話相談などの取り組みを行います。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000097430.html

外国人技能実習生の実習実施に対する監督指導等状況

厚生労働省は、全国の労働局や労働基準監督署などの労働基準監督機関が、2014年に技能実習生の実習実施機関に対して行った監督指導や送検の状況についての取りまとめを公表しています。
労働基準関係法令違反が認められた実習実施機関は監督指導を実施した3,918事業場のうち2,977事業場(76.0%)、重大・悪質な違反により送検されたのは26件だそうです。

 

千葉県労働委員会無料労働相談会

千葉県労働委員会が、今年も 委員による「無料労働相談会」を開催するそうです。
第1回 平成27年10月3日(土) 午後1時~5時 船橋フェイスビル5階
第2回 平成27年10月22日(木) 午後4時~5時30分 千葉県労働委員会事務局
第3回 平成27年11月26日(木) 午後4時~5時30分 千葉県労働委員会事務局
https://www.pref.chiba.lg.jp/chiroui/press/h27/soudankai.html
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長時間労働が疑われる事業場に対する監督指導結果

厚生労働省は、長時間労働が疑われる事業場に対して労働基準監督署が実施した監督指導の結果を公表しています。
それによると、対象となった2,362事業場のうち、1,479事業場(62.6%)で違法な時間外労働を確認し、是正・改善に向けた指導をおこなったそうです。

 

派遣法の研修

会主催の研修「労働者派遣法の改正と労働者派遣にまつわる諸問題」に参加しました。
第1 労働者派遣法の基礎と労働者派遣法の概要
 1 労働者派遣法の歴史的経緯
 2 労働者派遣の法律関係
 3 労働者派遣法の概要 ~2012年改正も含めて
第2 今回の改正について
 1 今回の改正の概要
 2 派遣可能期間の改正について
 3 均等待遇の推進について
 4 雇用安定とキャリアアップのための施策
第3 労働者派遣に関する最高裁判例
 1 松下PDP事件(最二小判H21.12.18)}
 2 朝日放送事件(最三小判H7.2.28)

 

均等法に感無量、でも...

先日行った新規開業準備研修会での体験談発表の際、大学の労働法の先生のパートナーだったということで、元文部相赤松良子さんにもチラッと触れたのですが、その赤松さんのインタビュー記事が朝日新聞(9/21付)「証言 そのとき」に掲載されていたので、ここに転載しておきます。

今年は、働く場での男女平等に道を開いた「男女雇用機会均等法」の成立から30年。当時の労働省婦人局長で、その後に文部相も務めた赤松良子さん(86)は、いまも女性の地位向上のために活動を続ける。「均等法の母」が、法制定にかけた思いや、若い人たちへの助言を語る。
――1985年5月17日。修正を経て、男女雇用機会均等法は衆院本会議で可決、成立した。
成立の瞬間は、感無量でしたね。私は衆院の傍聴席に座っていて、拍手にこたえて山口敏夫労働相が深々と頭を下げる姿を見届けました。
忘れもしません。法律ができるまで3年間という長い攻防がありましたから。仕事をやり遂げて、ほっとした思いでした。
けれども一方で、残念な、悔しい気持ちもありました。経済界や労働側と折り合いをつけていくうちに、理想として描いた姿とはかけ離れた法律しかできなかったからです。どこで妥協したかなんていうことは、自分が一番よく知っていますしね。
■機会を逃せない
色々批判もされました。敵というか、相手はだんだん変わっていくのですが、最後の段階で批判を浴びたのは、婦人団体からなのよね。法案の条文を読んで「なんだ、(企業にとって強制力の弱い)努力義務ばかりじゃないの」と怒った。彼女たちの怒りも、理解できます。そうした女性たちの悔しさにも思いをはせました。
けれど、妥協なくしては法律の成立は難しかったのです。努力義務にとどまっていようと、法律をつくったことが重要だったと私は思っています。このタイミングを逃せば、雇用の男女平等のための法律が整うのは、またずっと先に延びるだろうとも思いました。いまでも仕方がなかったと、そう思います。
実際にその後の改正で「努力義務」は、企業などに採用や配置、昇進の差別を禁じる「義務」へ変わり、法律として大きく前進しました。
「男女雇用機会均等法」こそが、わたしの人生で最大の仕事でした。この法律があるとないとでは、女性の働き方がまったく違います。世の中に法律は何千とあるけれど、日本の歴史を大きく変えた法律だと思っています。
しかも私にとって、子どもの頃から一貫している考えと通じている仕事でもありました。それは幸せなことでした。
■「女よ目覚めよ」
――1929年、赤松さんは大阪市で生まれた。父は関西の洋画界で知られた画家の赤松麟作。末っ子としてかわいがられ、近所では「おてんば少女」として知られていた。
小さい頃は家や近所でちやほやされ、わりと威張っていました。ところが小学校に入ると、どうも居心地が良くない感じがし始めたんです。どうしてかと考えて、「女の子だからだということらしいな」とわかりました。
当時、女の子には財産を相続する権利すらないわけです。兄は「かまどの下の灰までおれのものだ」なんてあからさまに言っていましたね。
母は専業主婦でしたが、結婚する前は裁縫を教えたり仕立てをしたりして収入がある女性でした。「女も自分で稼ぐことが非常にいいこと」だと母は思っていて、それを私にインプットしていた面はあると思います。
――高等女学校に通っていた15歳の時に終戦。津田塾専門学校(現津田塾大学)に進学するため、1947年に上京した。
女性というだけで権利を奪われるなんて状況を、変える側になりたいと思っていました。ちゃんとした職業に就いて、自立したい。そのためには、ちゃんとした学校に行かなくちゃなりません。
英語が好きだったこともあり、友達のお姉さんから聞いていた津田塾にあこがれていました。当時は戦後すぐで、食糧事情も悪く、汽車に乗る切符もないという状態です。そこを親を拝み倒して東京へ行きました。広い世界を見たかったからです。
■対等に働きたい
卒業したら学校の先生になろうと思っていました。でも、東京大が学に進んでいく先輩たちを見て、自分だって行けると思ったんですね。男性と対等に勝負できるスタートラインに立ちたい思いもありました。
3年生のときは、とっても勉強しましたね。本をどさっと机に積んで、西洋史だとか倫理、哲学、論理学……。必死に勉強して合格しました。進んだ東大法学部は800人中、女子は4人。共学といえるかどうか、ひとつまみの女の子がいるだけという感じではありましたけれど。
東大を卒業して労働省に入りました。国家公務員なら女性差別がない職業だと思ったんです。ところが当時、女性を採用しているのは労働省だけという有り様でした。

青少年雇用促進法

朝日新聞からの転載です。
若い働き手をこき使う「ブラック企業」対策などを盛り込んだ「青少年雇用促進法」が、11日の衆院本会議で全会一致で可決し、成立した。労働法令違反を繰り返す企業の求人を受け付けないなどの内容で、すでに参院は通過していた。新卒者などを守るねらいがあり、施行日は10月1日だが、一部は来春からの施行になる。
勤労青少年福祉法を一部改正し、名前を青少年雇用促進法に改めた。